「中廊下型住宅」が「居間中心型住宅」へと変遷してゆくことは

 

「中廊下型住宅」が「居間中心型住宅」へと変遷していったことにおいて、

最も中心的な原因として考えられるのは、住宅の中の「接客空間」の必要性の変化であったと思われる。

「接客空間」は、「居間」「茶の間」にとって代わられ、やがては家族のための「リビングルーム」へと変化してゆく。

それはつまり、その時代(1920(大正9)頃~)の日本の建築家たちが欧米の「リビングルーム」を欲した、と言ってよい。

同時に、その変遷の中で、起居様式での「座式」から「椅子式」への変化が求められ、あるいは「部屋の独立性(プライバシー)」と言ったものが、いわば欧米を模倣する形で移植された。(西洋直写型) 

日本に移植された「リビングルーム」は、そのデザインとして「縁側」を切り捨て、引戸を「ドア」にしていった。

 

日本人が、他者と関わるその方法・慣習まで西洋式にする必要性があったとは思われない。また、日本式の生活スタイルである「ユカザ式」「畳間」が、非合理的だとも思えない。

借りてきた西洋式の空間の中で、しかも「接客空間」も持たない日本人は、「社交」という行動様式をも失う。そこには「寝食空間」があるのみである。

「接客」とは「社交」である。

家の空間から、「接客空間」を取り除くことは、そのスタイルとしては、「非社交」を意味する。西洋式住宅空間から「接客空間」を取り除くと、そこには「寝食」空間のみが残される。

 

今回、「中廊下の住宅」青木正夫著に触れ、このような憂いが確信的なものになった。