待庵にて

妙喜庵「待庵」を大山崎町に訪ねる。

庵を訪ねるというより、待庵のその先にあるものを尋ねると言った方が好いかも知れない。

待庵のその先にある世界や宇宙を創り出したのが利休であるならば、その中に利休の思いがあるはずである。そしてその思いを尋ねるのは尋ねる自分自身ということになる。

世界や宇宙は、そもそも自分自身の中にあると言ってよい。

しかし、世界や宇宙を「尋ねたれども得ず」(雅歌)、

厖大な時間を費やそうともその全体を捉えることは出来ない。

そして、その世界や宇宙は何も応えてはくれない。

待庵や利休はその他人の試みをただ媒介してくれるに過ぎない。

その躙り口や室床、下地窓、連子窓の障子から射す淡い光は、何を表すのか。

 

ポテンシャルの高い材料はこの世界を造り出せるのか。

もちろんポテンシャルの低いプラスチック製の材料ではこの宇宙は創造できない。

自分自身と対峙させてくれる、この木や土、紙や石の材料の組合せであるところの「待庵」とは何ものなのか。

単なる茶室建築に何故このようなポテンシャルを見出すことができるのか。

 

2022年には、千利休生誕500年を迎える。

500年経ってもこの利休の呪縛から逃れることはできない。

利休のにんまりとした微笑みが目に浮かぶ。

「呪縛しているのはわたしではない。あなたを呪縛しているのはあなた自身だ。」と言わんばかりの表情で。

すべては、あなたの中にある。

 

今回、待庵を訪ねた理由の一つとして、「建築の疎外」を掲げていた。

日常生活の中で、自身が受ける建築からの疎外感があまりに著しく、耐え兼ねていたのである。

それは周囲の街並みを形づくる「鉄筋コンクリートのマンション群」や「プラスチック製建材でできた建売住宅」から受けるものである。

世間的にローコスト高機能で善かれと思って建てられた建築物群が自分を支配している。それによって自身があるべき自己の本質を失っている様に感じたのである。

 

今、待庵を眼前に体感することで、人間らしさを大いに取り戻せたと感じている。

眼前にあったものは、死にゆく材料ばかりであったが、それが返って活力を与えてくれる。決して精神的に貧しくはならないのだ。(ササラ材による杮葺き屋根の耐久年数は25年とのこと)